読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

意識低いアラサー女が垂れ流し

地方在住で学歴も無い。

"オタク"は免罪符になり得るか?

考え方
あがり症の自分は新入社員の頃、会社に来たプレゼンテーションの講師の方に対して「あがり症の自分はどうやったら上手く人前で喋れるか」と聞いた。返ってきた答えはこれである。
 
「登壇したらまず初めに“自分はあがり症である”と自己紹介しなさい」
 
これは私が欲しかった回答とは全くベクトルが違った。私は出来るだけ落ち着いてプレゼンするためのコツを聞きたかったのだ。聞く側に拙いプレゼンを受け止める努力をして欲しかったわけではない。
 
 

しかし確かに「あがり症」だけではなく、ネットの自己紹介欄にはよく「初心者」や「コミュ障」の文字列があり、自分のマイナス面をまず紹介している。そして相手に「マイナス面を受け入れてくれる人だけ仲良くして下さい」と暗に宣言している。先手を打つことで、これらの言葉は時折免罪符として効果を発揮する。

 
「初心者」だから古参にとっての常識を知らなくて当たり前、
「コミュ障」だから人と上手く付き合えなくて当たり前、
「あがり症」だから上手く人前で喋れなくて当たり前なのだ。
 
そしてこれを総括する便利な言葉が世の中にはある。それが「オタク」だ。
特に対人間関係に対して「オタク」は大きな威力を発揮する。
 
 
例えば昔、こんなことがあった。
取引先との飲み会の席で、女性は私一人だった。当然ながら私がもてなす様に指示され、お酌した。しかし私は極力人と関わらないために技術職を選んだような人間で、顔面偏差値は及第点(断言するが決して美人ではない)だとしても、話は全く上手くない。特に盛り上がりを見せることなく、その日の会は終わった。そして私は言われたのである。
 
「仕方ないよな、お前、オタクだもんな」
 
この一言で周りはすべて納得したのだ。
 
私の所属する会社が前時代的と言われればそれまでだが、とにかく「オタク」に対してこのような印象を持つ人間は社会に一定数いる。特に田舎では「オタク」はコミュニケーション障害で空気が読めなくて消極的という印象が、強く根付いている。
 
明らかに偏見だが、私はこれを最も有効な免罪符だと思う。
 
どうやっても上手くいかないとき、「オタクだから仕方ない」と諦めて貰えるのだ。自分が過小評価されることに何ら抵抗のない人間にとってこれはとても有難い。
更に「オタク」らしからぬ振る舞いをすれば「オタクなのに出来るんだな」と感心されることもある。一番分かり易いのはファッションだ。きちんとメイクして髪をブローしてシンプルなファッションに華奢なアクセサリーをつける。それだけでよく感心される。
 
要は最初に自分に対するハードルを下げておくことが重要なのだろう。底辺まで下がりきったハードルがそれ以上下がることはなく、後は自分の得意分野で少しずつ上げてやればいい。
そのハードルを下げることに対して有効なのが、最初に自分は「オタク」であるとアピールすることであり、「オタク」は免罪符になり得るのだ。
 
 最後に。
私は自己紹介のときは必ず自分がアイドルオタクであることを公言している。それもあって、職場でカラオケに行けばオタ芸をして場を盛り上げている。いま現代の「オタク」は大きく社会に受け入れられている。マイナス面ばかり記述したが、免罪符以外の個性としても「オタク」を活用して欲しいと、私は全ての同志に言いたい。