意識低いアラサー女が垂れ流し

地方在住で学歴も無い。

「子供ってコスパ悪いよね」論について反省してみた。

掲題の通り。
こちらの記事、

 

からの、こちらの記事の話。 

 

 

 

トイアンナさんの記事に関しては「結婚」と題してあるが、正直私はただ結婚するためなら恋愛感情もいらないし紙切れ一枚提出してどちらかの苗字さえ変えれば他はどうとでもなるようなものにコストなんて考える必要があるか?と思っているため、今回は「結婚」では無く「育児」に対して反省する。

まだ結婚も育児もやった事が無い独身女が何言ってんだって思われるかもしれないが、私自身は結婚も子供も夢見ていていつか欲しいと思っているため、反省と言いつつ「私が子供を欲しいと思った理由」だと思ってもらって構わない。脚色はあるが大きくは間違ってないはずだ。多分。

 

これから述べる「感覚的メリット」に対し養育費分の対価があるかどうか、どうか考えてみて欲しい。


子供は成長するだけでおめでたい

歳をとることは全ての人間にとっておめでたいことだが、ある一定の年齢に達するとそれを恥だと思う人間もいる。だから自分の子供を代わりとして立て、承認欲求を満たす人が多い。今日は子供の誕生日だとFacebookに投稿すればそれだけで「いいね!」がもらえる。誕生日だけじゃない、端午の節句、桃の節句、七五三、小学校入学・卒業と、子供は生きて成長するだけで祝われるライフイベントが目白押しだ。そしてその成長は育てた親の手柄だ。
乳幼児に至っては立っただけで「いいね!」、初めて喋っただけでも「いいね!」と言われる。私なんて毎日立って歩いて喋って生活しているが、当然ながらそれを祝われることはない。人は何か物事を達成することで祝われるため、既に達成している物事には見向きもしないのだ。だから全てが初めての経験である子供は、これから達成しなければならない事柄が多く祝われやすい。私たちなんて一年に一回もやってくる誕生日を何度達成したか分からないから、もう20年だとか60年だとかの節目じゃないと達成感が無いし祝われにくい。
社会人となった我々が祝われるためにはもう長生きか結婚かその他の社会的成功しか有り得ない。ここで言う"社会的成功"とは仕事で成功した、趣味の分野で賞を得た等の何かしら結果として社会に認められたことを指すが、これらは本人の才能が必要となってくる場合がある。しかし育児に関しては才能よりも労力が何よりも必要だ。極端に言えば労力さえ割けばなんとかなる。そのため大人になってから社会的成功が最も得られやすいツール、それが子供だろう。


子供というドキュメンタリー作品を作れる

今まで自分が受動的に経験してきた「人間の成長」というドキュメンタリー作品を、子供が出来れば初めて能動的に作れる。それは大変面白いものでは無いだろうか。例えるなら「スポーツが好きでずっと観戦してたけどプレイヤーになった」とか「音楽鑑賞が好きだったけど自分で弾くようになった」と同じ感覚だろう。今まで自分が親に育ててもらったことしか無かった”育児”というアクションを、やっと自分がやる番になるのだ。
自分も経験してきたはずの人間の成長は、改めて客観的に見ると驚きが多い。どうやっても自分とは同じ人間になり得ない子供は全く予想のつかない創作物だ。万人の誰にも先が一切見えないストーリーなんて名作では無いだろうか。子供は一種の卓越したエンターテイメントであり、娯楽だ。それをスポーツや音楽と同じ様に楽しむことが出来る。育児は趣味として楽しむ事が出来るのだ。


承認欲求の解消

先に述べた「子供は成長するだけでおめでたい」では他人からの承認欲求について書いたが、そんなわざわざ体裁を整えてSNSに投稿しなくとも子供さえ居れば承認欲求は得られる。いいね!してくれる友達なんて一人も居なくて大丈夫だ。親の承認欲求は常に子供が満たしてくれる。
子供にとって衣食住を提供してくれる親はどうやっても切り捨てられない存在だ。大抵の子供は親が居ないと生きていけない。子供に必要とされ、求められ、その存在を認められる。すなわち子供が自分の扶養家族である内は承認欲求が満たされる。他に承認欲求を満たすツールを持って無いのであれば、やはり子供で満たす事が最も容易なのだ。

 


まあ、結局私はここでブログを書いているほど承認欲求が高く、さらに趣味は「小説を書くこと」という創作大好き人間なので子供が欲しいのだろう。
きっと今現在の幸福度が高い人たち、あるいは趣味はスポーツ観戦だがボールに触れたことが無かったり、音楽鑑賞が趣味だが楽器に触れたことがないような受動的趣味の人間に、私の反省は響かないだろう。それはそれで人生楽しそうだな、と少し羨ましく思う。