意識低いアラサー女が垂れ流し

地方在住で学歴も無い。

「コミュ障」という自己紹介は結局何が言いたいの?

 私はコミュ障です。

年齢と共に随分良くなってきたので日常生活で困ることはありませんが、今でも知っている誰かと道ですれ違いそうになると何を喋っていいか分からないので、相手に気づかれる前に脇道に入って積極的に人を避けてしまいます。ですのでもちろん、休みの日の外出はほとんど一人です。外出しなくてもほとんど一人ですけど。

毎日の会社生活でも極力人を避けて生きています。昼休みになると同時に10分でお弁当を平らげてすぐに女子トイレに向かい、誰かが来る前に歯磨きも化粧直しもやってしまいます。一休みしてあたたかいお茶でも飲もうと給湯室に向かうときは、話し声が聞こえたらすぐに急須で淹れるお茶を諦めて自動販売機まで買いに行きます。

 

私はそうやって自分のコミュニケーション能力の低さで極力他人様に迷惑をかけないように生きている人が自己紹介で「自分はコミュ障です」と宣言しているのだと思っていました。しかしどうも違うみたいです。

 たまたま読んだこちらの記事。

 

別に私が地方に住んでる車を持たない独身女だから上記記事が気に入らないとかそういうことじゃなくて、引っかかったのは以下の部分↓

 

コミュ障・寂しがり屋・独り身。三拍子そろった私が地方に行った先にあるのは、消耗ではなく消滅だろうから。

 

 

コミュ障と寂しがり屋ってどうやって両立すんの???

 

 

え、だって私の中では、コミュ障=他人と上手く話せない=他人に不快な思いをさせないように極力話さないようにする=孤独という方程式が成り立っていまして、孤独に耐えられない寂しがり屋がコミュ障であるはずがないのです。

唯一考えられるとしたら私の様にコミュ障で人間関係をまるっきり諦めてしまったわけじゃなくて、寂しがり屋だからこそコミュ障の克服を目指している勇気のある人です。そういう人たちは尊敬します。しかし上記の記事はそういうわけでもない。自分はコミュ障&寂しがり屋を両立してるから高知では暮らせない、と言っています。

 

東京は人間関係が流動的で希薄なため、多様性が許容されます。1人で楽しめる場所も数多ある。美術館、カフェ、バル、ミニシアター…楽しくお一人様を謳歌できます。

 

うんうん、分かる分かる。そうだよね、地方って一人でお出かけするとき選択肢少ないよね。その点、東京はいいよね。コミュ障に優しいよね。

 

仕事の後に友だちとお酒を飲んで、会社の愚痴を言ったり、友達以上恋人未満(笑)の人との話をする。心がカスカスになったら、ワンピースを見に表参道へ行けばいい。辛かったら深夜にタクシーを走らせて、友だちの家に行くことだってできます。

 

 

お前、本当にコミュ障か? 

 

私の知ってるコミュ障はそんな人間関係、築けません。

 

別にコミュ障に全く友達が居ないとは思っていませんが(私にも一応居ますし)、コミュ障は友達に対してもコミュ障なんです。だから、他と同じ様に自分がコミュニケーション下手なせいで友達を傷つけてしまうのではないかというコミュ障特有の自意識がちらつき、気の置けない友達は作れない。いきなり深夜にタクシーで家まで行って泊めてくれる友達なんて居るわけない。 一体何を持ってして彼女は自らをコミュ障だと自称したのでしょうか?

 

彼女だけじゃありません、ツイッターには「コミュ障だけど構ってもらえると喜びます!」等の意味が分からない自己紹介がありふれています。それって言い換えると「コミュニケーション下手で貴方を不快にさせるかもしれないけど、構ってちゃんだから我慢して仲良くしてね!」という暴論を投げている自己中なのでしょうか、それともただちょっと人見知りやあがり症であるのをコミュ障だと盛って言っているのでしょうか。もしも盛って言ってるだけならやめて欲しい。「あがり症」や「人見知り」ときちんと正確に言って欲しい。私は「極力関わらないようにするけど、必要に応じて話しかけたときに貴方を不快にさせてしまったらごめんなさい」という意味で自分をコミュ障だと言っています。それをあがり症や人見知りと同じレベルだと思われると、正直困ります。

 

まあきっと最近のコミュ障の中では私が少数派なんでしょう。大体の人達は「コミュ障って言っとけばちょっと人間関係で失敗したって許されるんじゃね?」程度で使っているのでしょう。そうやってあなた方は本気でコミュ障に悩んでいる人達のコミュニケーションのハードルを上げ続けるんですね。嘆かわしいです。